2010年6月15日 (火)

子供はいつも、新しい。

 先日、ある作家の先生が「お笑いブーム」についてお話されていた。今、大人気番組である「爆笑レッドカーペット」もここの所視聴率が落ちてるらしい。今、「お笑ブーム」と呼ばれているこの時代はやがて朽ちていくのでしょうか。これからお笑いの世界に飛び込もうとしている僕にとってはそうあって欲しくないものである。

 

 大学の時、僕は広告について学んでいた。その時書いた論文で「子供はいつも、新しい。」という論文がある。その論文の中で『au』の『学割』というサービスについて取り上げた事がある。『学割』は携帯電話の基本料金と通話料金・パケット通信料などが半額になるというその当時では革命的なサービスであった。お小遣いからケータイの使用料金を支払っていた僕は勿論『学割』のサービスを行っていた『au』のケータイを使っていた。このサービスのターゲットはその名の通り学生である。しかしあえてお金にならない学生をターゲットにしたのはなぜだったのだろうか。

 僕の勝手な妄想ではあるが、このサービスの意図はこうである。まず学生をターゲットにして学生の顧客を増やす。やがてその学生は社会人になる。その頃には、新しい学生たちが現れる。一番初めにターゲットにしていた学生はやがてじいちゃん・ばあちゃんになっている。その頃には同じ原理で新しい学生・社会人が大勢世の中に存在している事になる。とどのつまり、必然的に学生をターゲットにしていた『au』の色が濃くなる仕組みになっているのだ。これは、「子供はいつも、新しい。」という当り前な事に着眼点を置いた素晴らしいアイディアだと思う。

 この『auの学割サービス』の原理を『平成のお笑ブーム』にも応用は出来ないだろうか。

 僕が小学生の頃のお笑い番組といえば『ダウンタウンのごっつええ感じ』と今も大人気『めちゃめちゃイケてる』の2番組が大人気であった。しかし頑固ジジイと鼻くそババアを親に持つ僕は「教育に悪い」という意味不明な理由でこれらの番組を見る事が許されていなかった。お笑い番組を見る事が許されていなかった僕は当然「小学校のお笑い」についていく事が出来なかった。しかしそんなゴミ家訓のおかげで今の僕の特技である愛想笑いがあるのだと思っている。ただこれでも「お笑い番組は教育に悪い」というクソ概念は昔に比べたら薄れてきているようだ。そんな僕らがやがては親になる。そして子供が生まれる。僕の親は頑固じいちゃんと鼻くそばあちゃんに見事昇格し何の発言権もなくなるのである。少なくても僕は「お笑いは悪」という教育をするつもりは全くないし、そう教育する親も多くはないのではでしょうか。やがて僕らの子供は親になる。「お笑いは悪」と教えられていない僕らの子供たちは、その子供に「お笑が悪」と教える訳がない。なぜかというと元々「お笑いは正義」であるからだ。つまり「平成のお笑いブーム」は朽ち果てるどころか、その勢いを増す様な気がしてならない。逆算して考えたらこれから勢いが落ちていくのは日本の国技である相撲の様な年配の方々に人気のものであるのだ。年末特番の「紅白歌合戦」の視聴率を「笑ってはいけないシリーズ」の視聴率が追い抜く日はそれ程遠くないような気がする。

 

 これはあくまで僕の妄想だが…

 

2010年6月 1日 (火)

「笑い」はどこにあるのか…。

 NSCの授業が始まって一ヶ月と少しが経った。最近はバイトと授業とネタ作りで暇な時間が全くない状態である。こういった生活を送っていると時間の大切さを身をもって体感する事が出来る。ある哲学者が「手に入れて、そして失うもの、それがお金です。しかし時間は失う事しか出来ません。だから大切に使わなければいけないのです。」といっていた。今の僕には名言中の名言に聞こえる。小学生の頃、内田先生に「お金と時間は大切にしなさい」とよく言われていたが最近になってようやくその意味が分かったような気がする。お金も一緒で、今はそんなに苦しい生活をしていないが、それを強いられた時に初めてその大切さに気付くんだろうな。それが分かっているんだったら、今のうちに貯金なんか出来たらいいけど、出来ない事が自分でも不思議だしやろうとしないのが自分の好きな部分でもある。世の中には正解といわれている事柄が無数に転がっているが、もしかしたらその正解が正解ではないかもしれないしたとえそれが正解だとしてもそれがすべてではないという事だ。

 ある先生の授業で「相方探しのお見合い」的な事をやって頂いた。そこで無事に相方を見つける事が出来たわけだが、そこで自分の理想に限りなく近いツッコミに出会う事が出来た。僕の理想的なツッコミはというと、インパルスの堤下さんかサンドウィッチマンの伊達さんの様なツッコミであった。つまり、声の太さを最も重要な要素として相方を探していた。先日、ある作家の先生が「ボケ相応のツッコミが必要」とおっしゃっていた。つまり、江頭2:50さんのあの強烈なボケにツッコミをいれるとしたら、ドロップキックでもしてコケさせるしかないという事である。自分が舞台でボケている事を想像した時にどうしてもBASSのかかった声質が欲しかったのだ。

 そんなわけで無事相方が見つかり先週から本格的にネタを作ってみたのだが、そのネタの面白くなさに驚愕している。不思議なものでネタを書いている時は面白すぎて一人で「キャッキャ」言いながら創っているのだが、次の日の朝起きて実際舞台に立ってこのネタをやっている所を想像すると寒気がして熱が出そうになる。原因は二つ考えられる。まず、僕はブラックマヨネーズさんに憧れてこの世界に入った訳だが面白さのハードルがすでにそこになってしまっている事。これは悪い事ではないにしろ過剰になりすぎると人前でネタを披露出来なくなり、チャンスを潰すことになる。もう1つはただ単に僕に笑いの才能がないという事。これに関しては、さっさと芸人の道を諦めて就職活動するしかない。ただ後者の事は考えたくもないし、今の時点ではやると決めている以上考えても仕方のない事である。今はただひたすら自分が面白いと思い込んでいるクソ面白くないネタをみんなの前で披露してスベリ倒すしかないという事だ。

 

 先日、品川プリンスシアターで武田鉄也さんがこんな事を言っていた。

 「正しい道を見つけ出す一番簡単な方法とは何か。それは右へ左へ何度も曲がってみる事である。初めから正解といわれている真っすぐな道しか歩いていない人間はそこが真っすぐな道である事すら気付かない。」と。世の有名な社長さん達は皆大きな失敗を経験しているという。お笑いの世界も同じ事がいえるのかな。

 

「笑い」はどこにあるのか…。

 

 

 

2010年5月21日 (金)

すべてはいつか、笑うため。

 すべてはいつか、笑うため。 

 広告クリエイターの岡康道さんの言葉です。

 NSCに入学して、早いもので一ヶ月が経とうとしている。文章なんか書くのは、大学の卒論以来だ。ちゃんと書けるかな。

 NSCの第一印象は?と聞かれると、ほとんどの生徒が「軍隊みたいな所」と答えるでしょう。噂通りの超体育系の養成所である。今は最初ということもあってか『礼儀』をメインに吉本とはこういう所だ!とご丁寧に教えて頂いてる状態だ。いざ、芸能界に入って物凄い痛い目に遭わないように、今、少しだけ痛い思いをさせて頂いていると思って日々授業に励んでいる。なんて親切な先輩方なんだ。

 

 ついさっき、大学の部活の先輩から電話があった。その人は僕と似た無茶苦茶な考え方をしていて、よく二人で「どうせこんなクソみてぇな人生…」と大笑いしながら酒を呑んでいたものだ。

 大学卒業後、彼は就職もせず東京で俳優になるといって上京してきた。そんな彼はずっと決まった事務所に入らず、勝手に自分で俳優を名乗っていた。無鉄砲とは、彼のためにある言葉なのかもしれない。

 そんな彼が先程電話で「おい…。やっちまったよ。」と話してきた。人でも殺したのか?莫大な借金でも背負ったのか?そんな事を想像しながら話を聞いていると彼は続けた。「映画で、窪塚洋介と共演が決まったんだ。」

 「…。」

 窪塚洋介って、あの『池袋ウェストゲートパーク』のキングじゃん。

 大学の頃、彼が酔っ払いながら言ってたような気がする。夢は逃げたりしない、逃げるのはいつも自分なんだよ、って。

 夢を掴みやがったか。

 話を聞いた瞬間、祝福と嫉妬が入り交ざった非常に不愉快な感情が僕を襲った。

 大学の時、進路を決める際に周りから全力で止められた芸人への道。彼は、背中を押してくれた数少ない人間のうちの一人でした。そんな彼が先に結果を残してくれた事が僕にあまりにもデカ過ぎる勇気を与えてくれました。マジでサンキュー。

 

 人間に欲張りなんて言葉はないと思います。攻め続けなければ、守れないモノだってあると思います。

 

 

 もっと、WILDに…


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